2006年10月27日

「ガテン系連帯」
発足記念講演

鎌田 慧さん(ルポライター)



組合つぶしの時代

 いまは、自動車産業に労働運動は全くありませんね。御用組合ばかりです。敗戦直後はこうではありませんでした。日産、トヨタともに、大争議があったのですが、トヨタは五〇年に共産党員をふくめた二一四六人を解雇し、五六年から「臨時工制度」を設け、六二年に「労使宣言」をだした。これは争議を絶対にやらないという、平和宣言でもありました。あそこの労働組合事務所は、トヨタの工場のなかにあったので、組合事務所へいって、副委員長に「ストライキのときどうするのですか?」って聞いたら、「ええっ」って驚き、「うちの組合はストライキなんか」と答えたんです。彼らの組合には「ストライキ」という言葉がなかったんですね。むしろストライキ反対の組合です。

 会社の営業報告書には、地震、テロ、ストライキと三代悪としてかかれているほどです。日産自動車の労働組合は、塩路一郎会長が、合併した「全金プリンス」の組合を、汚いやりかたでつぶしたには、有名です。

 造船業もひどかった。造船工場というのは兵器工場なんですが、60年安保改定に反対したんですね。兵器工場の労働者が、日米軍事強化に反対したので経営者が驚き、金を使って、各造船所でいっせいに第二組合づくりが行われました。二泊三日の研修旅行を実施せるとか、それくらいで思想は変わるまいと思うでしょうが、研修に行った連中は、グループでレポートを書かされるとかレクレーションとか、ものすごいきめ細かく管理されて、だんだん会社のほうに回収されてしまうんですね。
  研修は、夜中にものを探させられたりして発見の感動をあたえられ、感動したりしているうちに、どんどん会社に取りこまれる。ぼくはこれを「シンクロナイズド」と呼んでいるのですが、一心同体、自動車工場でいえば、ベルトコンベアー作業も、部品工場からトヨタのメインコンベアまで、同調して、一分の乱れもなく行われなければいけないのです。そこに反対分子とか、言うことを聞かない異分子がいると混乱する、といって排除するわけですね。

 70年代は、大企業のなかでも反対派の運動がけっこうあった時代でした。三菱長崎造船所の第三組合とか、日産プリンスとか、石川島播磨重工とか、少数派労働運動があったんです。もっと少数なのでは、日産ヂーゼルとか、日野自動車とか、門前でしょっちゅうもみあったり蹴られたりしていました。日野自工の工場では、食堂の掲示板に、彼をクビにしろという張り紙が職場一同の名前で貼られたり、職場の床に丸い輪を描いて、そこに一日中立たせたりとか、そういった攻撃で、抵抗する労働者をいじめていました。

 今回は、その日野自動車で、しかも派遣労働者の立ち上げということなので、ぼくはよろこんで参加しました。これから、どのくらいひろがっていくか、楽しみです。


“世界一のトヨタ”と非正規雇用労働者

  いま、トヨタの工場ではたらく労働者の3分の1が期間工です。日野自工では、その下にさらに、派遣という非正規労働者、フリーターがいるようですが、トヨタは、五〇年前から、「臨時工」という名の非正規、身分不安定な労働者をつかってきました。

 こうして、世界一高効率の生産体制をつくってきたのです。下請けにたいしては、「乾いた雑巾でも絞れ」といった厳しさでやってきました。トヨタでは去年、20人以上が労働災害で死んでいます。これは異常なことです。ちいさな災害はしょっちゅうです。それを、家の階段を踏み外したということにして、組長が車に乗っけて治療につれていって労災隠しをしたりするんです。プレスのなかで圧死するとか、炭坑ならいざ知らず、自動車工場では、異常です。トヨタ労組は馴れ合い組合なんですけど、メンタルヘルスでは、それなりの要求をしています。組合の団交のなかで明らかになったんですけど、精神疾患が増えてきているようです。

 今年は新卒高校生を大量に採用したようですが、トヨタではこの十年間で、労働者数が200人くらいしかふえていません。そんななかで、「兵站が伸びきっている」と経営者が心配するほど、海外に工場がふやされています。フィリピンやインドなどでは、そうした工場で争議になっていますね。フランスでも争議がはじまっているし、これから、いよいよアメリカのUAW(全米自動車労組)の組織化もはじまろうとしています。しかし、日本の自動車工場では、世界的な労働組合の歴史とはまったく違う形で、労働組合を作らせない日本的なやり方がとられてきました。それを許したのが日本の労働組合です。

 世界一の生産量で、世界一儲かっているトヨタで、その3分の1の労働者が非正規だというのは犯罪的ですね。中日新聞でトヨタ批判がはじまっています。トヨタは豊田市に本社があって、愛知県に睨みをきかせていて、中日新聞はその影響をうけている新聞社ですから、これは驚くべきことです。トヨタにおける非正規労働者の労働問題についての連載の一回目は、わたしへのインタビューです。トヨタの奥田碵前会長は経団連会長であって、製造業でいちばん儲かっている会社なのに、労働者の3分の1が非正規というのはおかしいんじゃないか、もっと社会に貢献しなさい、という内容です。格差とか非正規の問題は、マスコミも扱わざるを得ないほど煮詰まってきたのです。

 そんな折に、日野自工で派遣労働者の労働組合が結成されることになって、これから自動車工場に波及することを期待しているのです。


ピンハネ業の復活

 格差社会の根本はなにかといえば、「労働者派遣法」です。この法律は、最初、業種を限定していました。コンピューターのプログラマーが圧倒的に不足した時代を背景に制定された法律です。当時プログラマーは忙しくて家に帰れないから、会社の庭でテントを張って暮らしているという話すらあったくらいです。専門学校とか職業訓練所とか工業高校がプログラマーをたくさん輩出しました。しかしそういう人たちを全員社員化することはできないというので、こうした専門職に限り、労働者派遣が許可されたんですね。それと前後して、ヘッドハンターとか、アウトソーシングなどといって、人材派遣会社があらわれました。

 労働者派遣というのは昔で言う、「人夫出し」です。「口入れ稼業」、「労働者供給業」。これは、違法行為です。土建業、その前は炭坑などで、労働者をプールしておいて、注文に応じて労働者を派遣していく。そのときにピンハネするために、暴力装置が必要だったんです。山谷、釜が崎、いまなら上野駅の駅前で、暴力団が乗用車で待っています。労働者をつかまえ、クルマに押し込んで、どこか飯場に運んでいく。生意気だっていうんで殴られて殺され、埋められた、という事件も発生しています。

 労働者派遣法を高梨昌信大名誉教授などが頑張って改定して、04年から製造業にも適用されるようになりました。高橋教授は、「ようやく全産業に派遣できるようになった」と書いています。そして、「必要なときに必要な人間を必要な量だけ派遣する」のが、労働者派遣法と言っています。これはトヨタのカンバン方式です。ぼくはトヨタの期間工として働いていましたが、深夜2時頃、ちょうど部品がなくなった頃に、部品が運ばれてくるんです。「ジャスト・イン・タイム」で、新しい部品箱が運ばれてくる。だから在庫はいらないのです。これと同様に、労働者を部品のように企業の一方的な都合で、必要なときに必要な人間を必要な量だけ、右から左に動かすことを可能にしたのが、労働者派遣法なんです。

 人間が部品化されて、必要なときだけ供給される労働者は、人格に関係なくたんなる労働力として切り売りされるわけです。これは、戦後、GHQが禁止していたことですし、いまでも「労働者供給」とピンハネはいけないと職業安定法に書いてあるんですよ。これをくぐり抜けるために、労働者派遣法という新しい法律をつくったのです。

 GHQは、労働者派遣業は前近代的な産業構造の基盤である、と言いました。港神戸の山口組も労働者(沖仲仕)を派遣してピンハネすることで出発したのです。

 炭鉱などでは、暴力団同士の対立がありました。「門鑑」という「入門証」がありまして、それを多く取れば取るほど、人夫を多く出すことができ、ピンハネがふえる。その縄張り争いなんです。製鉄所の「請負夫」もそうですね。僕もある暴力団がやっている、北九州八幡の「労働下宿」にいたことがありますけど、玄関の横に帳場がありました。朝5時くらいになると、大型バスが迎えにきて、下宿人を乗せていくんです。製鉄所の構内の原料ヤードから、巨大なコンベアーで鉄鉱石が運ばれてくるのですが、震動で地面の落ちてしまうのです。それをスコップですくうのが仕事です。粉塵で鼻から目からまっくろになっちゃうんですね。その頃、八幡製鉄所にもまだ溶鉱炉が残っていて、酸素注入マスクをつけて高炉のうえに昇っていって、スコップで作業していました。酸素吸入マスクをはずしてタバコを吸ったりしていました。高炉ガスに吹かれて死んだ人もいます。そういう危険な仕事を訓練なしでやらせていました。

 労働者派遣とは、そういうことなのです。その下宿に十年も暮らしている人もいました。仕事がないときに賃金を前借りして酒を飲んだりして、一生出られないんですね。肺病で咳をしていて、飯が全然食えない、という人もいました。そういう悲惨な労働者の歴史があったのですが、それがいままた復活させられたのです。


新たな階級「派遣労働者」

 異常なことです。格差社会というのは、賃金格差、差別賃金、奴隷賃金、飢餓賃金のことなんですよね。賃金はむかし、マーケットバスケット方式といって、マーケットに行って買ったものを積算して生活費を算定しましたが、いまはご飯もたべられない時間給が復活しているのです。最低賃金が安すぎるのです。社員と派遣は、四倍、五倍の賃金格差になっています。

 鉄鋼労連という組合が、五○年代につくったパンフレットに、「臨時工は本工の防波堤ではない」というのがありました。臨時工を本工化していこうという運動があったんですね。明治の時代から、「臨時工」という制度があったのですが、高度成長からオイルショックまでの間に、労働組合が要求したこともあって、ほとんどの臨時工が本工になっていますね。ところが、いまはむしろ、本工が臨時工化する時代です。労働条件が昔に逆行し、差別がひろがってきています。派遣労働者は、日野自動車では、一ヶ月更新となっているそうです。

 しかし、トヨタ自動車の期間工は、かつての半年から三年までとされた。事情のわからないひとたちは、三年も働けるようになったから、よかったというのですが、派遣法は、一年たったら社員になる道をひらくことになっている。悪法とはいえ、派遣を認める代わりに、批判を防ぐ方策を設定していた。

 ところが、三年たってから不採用というのでは、フリーターは年取ったまま放り出されることになる。トヨタにとっては、三年はたらかせれば、交通費も募集するカネもかからないし、現場の技術も安定する。それでなくとも、変場の幹部はどんどん海外工場へ指導に行っていて、ベテランが不足しているのだから、期間工の安上がりベテランがいたほうが都合がいい。企業の勝手なんですね。

 期間工は優遇されているように言われますが、そうではなくて、その下に「派遣労働者」という、新たな階級が登場しただけなのですね。だから、フリーターのみなさんは、労働現場の新しい階級なんです。新しい貧困層です。かつて、「貸し工」制度というのがありました。今でいう、「偽装請負」とか「偽装出向」とかに当たる人たちです。みなさんは、おどろくべきことに、そうした出稼ぎ労働者の下に位置づけられているのです。

 下請けとか請負というのは、れっきとした企業なんです。工場の構外にあって、生産設備と技術をもっているのが、下請け企業のはずなんです。ところが80年代くらいに、職安法施行規則が、「専門的技術を有するもの」という規定によって、生産設備がなくても、下請けとして認めるという内容に変えたんです。つまり、構内に労働者を派遣するだけなら、違法の派遣業となるが、専門技術のある下請け労働者が工場の門をくぐるのは、下請け企業としたのです。これは鉄鋼や造船所に、下請け工が入っていく機会をつくるための、鉄鋼会社の方針だったのです。「専門的技術を有する」からといって、言い逃れしてきていたんです。

 いまは派遣労働者を派遣していながら、労働者としてではなく、業者としてあつかい、労働法の適用から外した、「偽装請負」が、御手洗冨士雄・経団連会長会社のキヤノン、松下、東芝などでも大量に入れていることが判明しました。キヤノンの派遣・請負労働者は、二万人を越えていた。

 八〇年代に働きにいった旭硝子では、出稼ぎ労働者をそのまま工場の一画に、集団で張り付けていました。いまでいう「偽装請負」だったのです。秋田の人たちを縁故雇用していたのですが、引率者はボスとして、なにも仕事しないで、ぷらぷら遊んでいればいいんです。そういうのが前からありました。

 そうやって少し前までは地方のあちこちから労働者集団を集めていたのですが、不況が長引いてフリーターが増えたいまは、選り取り見取り、労働市場からいくらでも調達できるようになったのです。

 労働者派遣業は、4兆円産業になっています。「クリスタル」という派遣業者は、派遣労働者を10万人以上も抱え、年収5,000億円、純利益212億円、といわれていた。それが、違法行為が摘発され、営業停止になった後、「グッドウイル」という4万人、売上2,000億円の派遣業者に、1,300億円で買収されました。派遣業界は、これほどまでに荒っぽいマーケットになっているのです。人買い市場です。JRの駅の通路に氾濫している、色とりどりの求人雑誌が、使い捨て自由、派遣労働者の需要の大きさを示しています。


派遣・フリーターの組合はこれからの運動!

連合は派遣労働に関する問題意識はありません。彼らはこの法律がつくられるときに、なにも反対しませんでした。たいがい、本工組合、反ストライキの組合ですからね。ですから、地域の個人加盟の組合で、それをどうカバーしていくのかが課題です。が、それほど芳しい成果は挙げられていません。

 昔は労働者たちがみんな走りまわっていました。ぼくも個人加盟の組合員だったことがあって、10代のころ、あちこち走りまわって、朝早く起きてビラをまきに行ったり、よその組合の団交に参加したりするとか。そういう団交で、よその経営者と交渉すると、ワーワー騒いで面白いんですよね。

 これから、そういう仲間をどういう風な形で集めていくかですね。残業しないで帰らないと、活動できません。昔は中小企業でも争議が頻発していました。おたがいに走りまわって応援しました。これから、請負とかフリーターの労働者をどう守るかです。派遣とかフリーターの組合は、いままでありませんでした。こらからの運動です。

 私が出稼ぎをやっていた旭硝子船橋工場には、出稼ぎと臨時工と両方がいたんですね。臨時工は組合を結成して交渉やっていましたね。それは敗北に終わっちゃったんだけど、それはその企業内だけでやっていたからです。

 これから皆さんも、どういう運動にしていくかが課題ですね。やりがいがあって、けっこう面白いはずです。人生いい経験にもなるし、クビになったって死ぬ訳じゃありません。どうせ皆さん、クビみたいなもんじゃないですか(笑)。

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